
山瀬が横浜Mへ移籍 ぎりぎりまで迷い決断 Jリーグの浦和は24日、MF山瀬功治(23)が2年連続年間王者の横浜Mへ完全移籍すると発表した。2年契約で移籍金は約2億5000万円に上る。
山瀬は昨年12月27日、「(故障中の)自分を欠いてもチームが優勝したことで位置付けが不安になった。2年間を振り返っても貢献できたイメージがない。他チームの評価を聞いてから身の振り方を決めたい」とし、残留か移籍かの揺れる心中を初めて明かした。
1月6日に横浜Mが獲得の申し入れをしていた。
札幌時代の2002年に右ひざ前十字靭帯(じんたい)を断裂した山瀬は、全治6カ月の重傷を抱えながらリハビリ期間中の03年に浦和へ移籍。
第1ステージの名古屋戦(4月6日)が浦和でのデビュー戦で、第2ステージでは全試合に先発。初優勝したナビスコ杯では先制点を決めた。
昨季は第2ステージに入って持ち前のドリブルとパス、シュートで攻撃の中心として大活躍。しかし絶好時のポテンシャルを示し始めていた9月18日の新潟戦で左ひざ前十字靭帯を断裂し、浦和のステージ初優勝に携われなかった。
浦和ではリーグ戦42試合で11得点。
横浜Mは26日からアデレード(オーストラリア)での合宿に入るが、山瀬は国内に残って調整する。
「内面の違和感」
新天地でリセット めっぽうサッカーがうまくてプレーは上手に表現できても、自分の思いを言葉でうまく表せないやつもいる。山瀬はそういう男だ。
二日酔いで起き抜けの21日午後2時18分、山瀬から連絡がきた。腹を決めたんだとすぐに分かった。「マリノスに移籍することにしました」。僕はそれ以上突っ込んだ話をしようと思わなかったが、「今回の経緯をきちんと説明したい。河野さんを通してお願いできないでしょうか」と、いかにも彼らしかった。
20歳で6カ月の重傷。復活しかけた2年後に同じダメージ。サラリーマンなら少しのインターバルで職場復帰できる。あいつは、そう寿命の長くないプロサッカー選手だ。たった2年で僕らじゃ想像できない苦悩に2度も直面した。
人は誰でも他人には理解できない摩訶不思議な思いをしまい込む。
浦和は山瀬が故障した直後のF東京戦に負けたが、その後は白星を重ねて優勝。「おれがいなくちゃ」と「おれがいなくても」という複雑な思いが交錯し、あいつがチームの勝利をねたんだら謀反者だろうか。そうは思わない。僕にはそれが自然で素直な気持ちだと受け止められた。
「初めは不安もなかったが、優勝したことや選手層の厚さを考えていくうちに、けがが完治しても試合に出られるのか疑問になった。そういう思いが日ごとに蓄積され、内面から違和感が募ってきたんです」
自分を取り巻く環境に不満は一つもない。特に犬飼社長と医療スタッフにサポーター。
でも「内面の違和感」はあいつにしか絶対分からない。それを払しょくするには「環境を変えて気持ちをリセット」(山瀬)するしかなかった。違和感を引きずったまま浦和にいて、みんなが望むプレーができたか。
移籍が前提ではなかった。浦和か横浜Mか。ぎりぎりまで逡巡(しゅんじゅん)したそうだ。あいつは、そんなことでうそのつける男じゃない。「一人の選手としてサッカーだけにはうそをつきたくない。サッカーへの偽りのない気持ちがそうさせました」としっかり僕の目を見て言った。
もう一つ。山瀬が伝えたかったのは「チームとサポーターの方々には身勝手な言動をして申し訳なかった」という思いを何度も繰り返した。
試合になったら思う存分ブーイングしてやればいい。でも岡野が復帰したように、あいつだって戻ってくるかもしれない。また「浦和のキング」として温かく迎えてあげてほしい。そして、あいつの苦悩と口下手、みんなへの感謝の念を分かってあげてくれ。
浦和のKING山瀬の移籍が決まった。
今は『言葉にならない』と言うのが正直なところ。
俺達は又、新たなシーズンを迎える。
山瀬も新しい人生を歩き始める。
一言だけ。
長かったようで、短かった2年間。
ありがとう。山瀬。
オフィシャル
posted by τακα at 16:36| 埼玉

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