え〜まずは、名場面の前に...
坪井W杯1次予選絶望的
左太もも裏手術 全治4か月
浦和の日本代表DF坪井慶介(24)のW杯1次予選の残り試合出場が絶望的になった。坪井は、15日に左太もも裏の腱(けん)および筋肉の断裂部位をつなぐ手術を受け、全治までに約4か月を要することが判明。1次予選は11月17日のシンガポール戦(ホーム)で終了するため、出場は困難になった。回復が遅れれば、今季を棒に振る可能性もあり、浦和関係者によれば、ギド・ブッフバルト監督(43)も落胆の色を隠さなかったという。坪井は9日のスロバキア戦の試合中に負傷。キリン杯開催中の10日にチームを離脱していた。
...なんてこった。
国の代表として、頑張る事は勿論大切。
彼の今後のサッカー人生にもとても大切な経験だと思う。
でも、怪我したとたんにおさらば...
今の高原の心中だってはかり知れない。
大切なカップ戦を控えたこの時期に、三都主は旅立ってしまうし、U-23も疲れてるはず。。。
ついでに、ケイタとKINGはアテネ五輪メンバーから外れました。..._| ̄|○
は2002年11月4日 ナビスコカップ決勝・鹿島アントラーズ戦です。
翌年(2003.11.03)に見事に雪辱を果たし、
あえて語る事の少なくなった2002の敗戦。...初の決勝の舞台。
当時の事を振り返れば、色々な事が頭を巡る。
決勝の切符を手に入れ、 おれたちも過剰なチケット争奪、何日も前から国立に足を運ぶ。
それが当たり前の様に、みんなが11月4日に向けて思いを寄せてた。
試合が始まる前のあの何本もの赤いフラッグ。
夢の様な光景だった。
いや、それが異様な空間なのかもしれないとさえ思った。
キックオフと同時に、...確かにいつもとは違う試合が始まった。
試合の内容はお互い決定的な場面が無いまま(いや、押されっぱなしだったが...)終盤を迎えた。
正直、記憶に残るプレーはほとんど無い。(それじゃこの企画にあってないじゃねぇか!...まぁまぁ。)
オフトの厳しい顔。
うなだれる選手達。
涙を流してる選手もいた。(現地ではそんなの見えなかったよ。ゴール裏最上段付近だったから。後でビデオみなおして知ったんだ。)
でも、試合が終わった瞬間に悲しさや諦めという気持ちは出て来なかった。
ただひとつ、『・・・絶対、来年もくるぞ。』そう思えた。
勿論、結果は負けたが『一緒に戦う気持ち』をもっと伝えなければならないと思ったから。
どんどんサポーター達は帰路につき、競技場内も片付け始めたが、その場を離れられなかった。
仲間達も 俺達はどうすればいいんだ? 何が足りなかったんだ? と自問自答している風だった。
いてもたってもいられなくなり、ユニのデカ旗を会場から搬出するのに手をかした。
いや、何かに縋り付きたかったのかも知れない。
明治公園に出てデカ旗をたたんでる時に、息子をスタンドに置き去りにして来た事に気付く。
(おせえよ...いや、仲間がちゃんと連れて来てくれたけど(^o^;)
今思えば、あの日、あの場所に居た事。
のちに色々なサイトで見た映像、それぞれがラップして頭の中でぐちゃぐちゃになったり、
なんども思い出しては落ち込んだ事。
どうしても、選手達の沈んだ顔がわすれられなかった。
これがその後のレッズや、サポートの姿勢に大きく変化をもたらしたので、
私の『サポーターが選ぶ名場面100!』です。
しかし、きっちり一年後にその選手達の顔が笑顔に変わった時、今度は俺が泣いた。
『一緒に戦う気持ち』を持ち続け、一緒にサポートにあけくれた仲間達がそこには沢山居た。
何か熱く感じた。『あぁ、これだ!』
あの時、選手と共に戦う気持ちに足りなかったのは『俺は一人じゃ無いんだ』サッカーは一人じゃ戦えないんだ。
それを気付かせてくれたのは11月4日の選手達の悔しい、つらい顔だった。
翌年にもっと気持ちを高めてくれたのはBOYSの勇姿やロッソの計り知れない行動力。
そして、『地に足をつけて行こう』に同調した全てのサポーター達だ。
あの時の思いを忘れずに、そして躍進しなければいけない。
だから、明日も出来る精一杯のサポートを共に!
三年連続の国立行きの切符をてにするんだ!
ここ迄は、16日の夜迄に書きました。
7/17の結果は、皆さん御存知の通り...
トリコロールに染まった、聖地駒場。
選手達の熱き思いと、サポーターの熱意が重なったそこには勝利の美酒だけがよういされてました。
さあ、松本で結果を残すぞ!参戦出来る方は何としてでも駆け付けてくれ!
俺も仲間と参戦するぞ!
ってことで、感情に走った文章ですんません。
では、私からは浦和レッズのアウェーゲームに行こう!さんにロングパスです♪
宜しくお願いします。




